白川郷、二月。集落の主屋根の葺き替え作業を見せてもらう機会があった。気温は氷点下、風はないが空気は澄んで切れる。屋根の傾斜は六十度、日本の住宅としては極端な角度である。なぜここまで急なのか。雪が滑り落ちるためだ。冬に三メートル積もる雪を屋根に残せば、家は潰れる。だから屋根は急で、葺き替えは数十年に一度の大仕事になる。
釘を使わない構造
合掌造りの主屋は、柱、梁、屋根の骨組みに、釘をほとんど使わない。木と木は仕口と呼ばれる伝統的な接合で組まれ、固定には縄が使われる。この縄こそが、屋根を百年支える秘密である。
使われるのは、ねそと呼ばれる山藤の蔓を束ねた縄。普通の麻縄より柔軟で、引っ張ると伸びる性質がある。木と木の接合部に巻き付けて固定すると、地震や強風で揺れたときも、ねそが少し伸び縮みして衝撃を吸収する。鉄の釘で固定された木は、揺れに耐えきれずに割れることがあるが、ねそで結ばれた木は、揺れと一緒に動いて壊れない。
屋根葺きという共同作業
葺き替えは、地域共同体「結(ゆい)」の助け合いで行われてきた。一軒の屋根を葺くには、屋根葺き職人だけでなく、近隣の家々から人手が集まる。茅を運ぶ人、水を運ぶ人、食事を作る人、足場を組む人。一つの屋根は、地域全体の関係性そのものでもあった。
近年は、観光資源としての保存事業が進み、行政や財団の支援で葺き替えが行われるケースが増えている。それでも、地元の人々が手伝いに加わる伝統は今も残っている。屋根葺きの日には、近所のお年寄りが朝から作業場に来て、若い職人に縄結びを教える、という光景がいまも見られる。
「縄は、結ぶ人の手の癖が出ます。だから誰が結んだかを見れば、修復のときにも、その家の歴史が読める。
」 — 白川郷の屋根葺き職人、六十五歳
茅という素材
屋根を覆うのは、ススキやヨシを束ねた茅。これも釘を使わない理由のひとつだ。茅は乾燥すると軽く、湿ると重くなる。釘で固定すれば、湿度の変化で茅が動く力に抗えず、釘穴のまわりが徐々に裂ける。縄なら、茅の動きにあわせて締まったり緩んだりするので、長持ちする。
茅の調達
使用する茅は、地域内で年に一度刈り取られる。茅場と呼ばれる土地が集落周辺に確保されており、収穫した茅は乾燥させ、何年か保管されてから屋根に使われる。
葺き替えの順序
古い茅を取り外し、骨組みを点検し、傷んだ部分の縄を結び直し、それから新しい茅を一束ずつ重ねていく。下から上へ、内側から外側へ。順序を間違えると、雨漏りの原因になる。
結び方の種類
ねそでの結び方には、いくつかの基本形がある。男結び、女結び、巻き結び、絞り結び。それぞれが使われる場所と理由を持つ。仕事を見ているだけでは判別できないが、職人の手は無意識に使い分ける。
| 結び方 | 使用箇所 | 特徴 |
|---|---|---|
| 男結び | 主要な梁の固定 | 強度重視、ほどけにくい |
| 女結び | 細部の固定 | 仕上がりがきれい |
| 巻き結び | 柱と梁の接合補強 | 圧で締めて固定 |
| 絞り結び | 茅の束の連結 | 湿度変化に対応 |
消えゆく技と残る屋根
合掌造りの集落は世界遺産に登録されているが、葺き替えを担う職人は減少している。岐阜県内で屋根葺きを専業にしている職人は二十名前後と推定される。後継者の育成には十年以上かかる。技術の継承は、保存運動の最大の課題のひとつである。
編集部より
本記事の数値は、白川郷観光協会、岐阜県の文化財保存担当者、複数の屋根葺き職人への取材に基づきます。職人数や葺き替え周期は地域や個別の条件で変動するため、あくまで目安としてお読みください。
屋根葺きの日、若い職人が古老に教わりながら縄を結んでいた。その手の動きは、まだぎこちなく、何度もやり直していた。けれども、その不器用な手のなかに、百年後に屋根を支える可能性が、たしかに含まれていた。冬の白川郷の屋根は、茅の上に積もる雪と、骨組みを締めるねそと、それを結ぶ人の手で、毎年同じだけ守られている。

