二十四節気のなかの春、清明から穀雨へ
二十四節気は、季節を二週間ごとに細かく区切る。この春、清明から穀雨へと移る十五日間に、農家のひとは何を見ているのか。山あいの集落で聞いた話。
EDITOR'S PROLOGUE
この春の号は、「静けさ」を主題としました。
畳のうえの一拍、紙を漉く手の音、茶室の躙り口の段差。
日本の伝統のなかには、見落としやすい小さな静けさがあります。
それを十二の記事と六つのノートで、ゆっくりお届けします。
— 編集部
FEATURED
二十四節気は、季節を二週間ごとに細かく区切る。この春、清明から穀雨へと移る十五日間に、農家のひとは何を見ているのか。山あいの集落で聞いた話。
茶室の躙り口は、座ることを身体に思い出させる装置だ。頭を下げ、膝をつき、手をつく。その動作が、まだ言葉にされていない作法を教えてくれる。
2026年4月14日
畳の縁を踏まずに歩く。それだけのことが、なぜか身体の速度を半分にする。畳という床のうえで、私たちはまだ、別の時間を持っている。
2026年4月12日
和紙は乾いてからが本番だ、と岐阜の職人は言った。一年、十年、五十年。紙は時間を吸って色を変えていく。私たちの紙は、まだその準備にすぎない。
2026年4月9日
FOUR CHAPTERS
Japendの記事は、四つの章にゆるく分かれています。
気になる章から、ゆっくりお読みください。
LATEST

二十四節気は、季節を二週間ごとに細かく区切る。この春、清明から穀雨へと移る十五日間に、農家のひとは何を見ているのか。山あいの集落で聞いた話。

茶室の躙り口は、座ることを身体に思い出させる装置だ。頭を下げ、膝をつき、手をつく。その動作が、まだ言葉にされていない作法を教えてくれる。

畳の縁を踏まずに歩く。それだけのことが、なぜか身体の速度を半分にする。畳という床のうえで、私たちはまだ、別の時間を持っている。

和紙は乾いてからが本番だ、と岐阜の職人は言った。一年、十年、五十年。紙は時間を吸って色を変えていく。私たちの紙は、まだその準備にすぎない。

坐禅と坐禅のあいだに、ゆっくり歩く時間がある。経行と呼ばれるそれは、走る代わりに歩く、立ち止まる代わりに歩く、という奇妙な運動の練習である。

障子は窓ではなく、光を選別する装置だ。直射を拒み、空気の色だけを室内に入れる。その仕組みを、京都のある町家で改めて観察した。
ONE-ON-ONE
京都・東山で茶の指導を続ける七十代の表千家師範に、今日の若い世代と茶の出会い方について話を聞いた。
Q.
最近の生徒さんと、十年前の生徒さんで、変わったところはありますか?
A.
座る前に、写真を撮ろうとする方が増えました。けれど、構えなくなるのも早くなった。十回稽古に通えば、もう写真を撮らない。
Q.
それは何が変わったということだと思われますか?
A.
身体が、撮るより味わうほうが面白いと知るのです。茶の所作は、頭ではなく身体に教わる稽古ですから。
SCENES
SCENE 01
金沢、ひがし茶屋街の格子戸
夕方四時の光が、木の縦格子のあいだを通って、地面に等間隔の影をつくる。三月の終わり、ひと気の絶えた時間。
SCENE 02
栃木、夜の蔵と漆喰の月明かり
夜十時の運河沿い。蔵の白壁が月を反射し、川面の灯がそれをまた反射する。誰もいない、ただそれだけの時間。
EDITOR'S NOTES
京都の宿で目を覚ました朝、障子の上半分だけが薄い金色に染まっていた。雲が動いて光が変わるまでの十分間、ただそれを眺めていた。 窓ではなく、障子だからこそ起こることだ。光は紙を通って一度柔らかくなり、それから部屋の中に入ってくる。直接ガラスから入る光と、紙を通…
続きを読む京都・東山の工房で、職人が竹を削るのを横で見せてもらった。茶杓と呼ばれる、抹茶をすくう小さな匙のことだ。 竹を選んで切る。切った節を割る。割った片を削る。削った膚を磨く。一本のために、半日近くかかる。 職人は黙って手を動かしていた。室内には、刃が竹を撫でる…
続きを読む金沢の駅前で、年配の女性が和傘を差して歩いているのを見かけた。観光ではない。買い物の帰りらしく、紙袋を提げていた。 ビニール傘ではなく和傘で日常の雨をしのぐ人が、この街にはまだ残っている。傘を畳んで店先に立て掛ける動作が滑らかで、長年の習慣であることがわかっ…
続きを読むNEWSLETTER
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